ケアシノスリ
タカ目 タカ科
英名:Rough−legged Buzzard
学名:Buteo lagopus
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全 長 :♂55cm ♀58cm 雌雄同色
観察可能時期:冬鳥として10月〜4月 主として北日本で越冬するので東海地方では
稀
生 息 場 所:農耕地・草原・埋立地・河原・干拓地などでネズミなどを捕食する。
類 似 種 :ノスリ オオノスリ
特 徴 :ノスリに似るが全体に白っぽく白黒のコントラストが強いので識別は容易。
成鳥は主翼の後縁や尾羽に黒いバンドがあるが幼鳥は色が薄い。
餌を探すときの上空での独特のホバリングが印象的。
カムチャツカからロシア東部の沿海州・アラスカからユーラシア大陸の極地方で繁殖し、中国東北部の日本海
沿岸地方からモンゴル〜ヨーロッパに掛けての中緯度地帯で越冬し、一部が北海道から本州北部の日本海側
で越冬するが数は少ない。
2,008年の正月早々多数のケアシノスリが日本列島に飛来し、主として中部日本から西日本にかけての広い
範囲に散らばった。
正月頃に湖北の水鳥センター付近を通過した個体数は約30羽で、島根県東部に50羽、鳥取県西部で10羽
笠岡市には10羽の報道があり、各地合わせると数百羽との見方がある。
これらのケアシノスリは年末寒波の到来で中国東北部で餌を獲れなくなった個体群が海を渡って南下したも
のと言われている。
ケアシノスリの一部は東海地方にも飛来し、愛知県と三重県の県境にある木曾岬干拓地でも10羽前後が越
冬した。
この年、私が最初にケアシノスリを見掛けたのは1月3日に木曽川と長良川を分ける背割堤防の上で、1羽
が下流を目指して飛び去って行ったあと、翌4日にもカラスのモビングを受けながら南を目指す1羽とすれ違った。
白いノスリを見かけたら知らせることになっていた友人に連絡したら木曾岬干拓地にたくさん入っているらしい
とのことだった。
2,008年1月3日 愛知県愛西市
木曾岬干拓地は東西1km・南北が約3kmの未利用の干拓地である。 立入り禁止となっている干拓地内部に
は広大な葦原が広がり、チュウヒを始めとする猛禽の越冬地として知られている。
ここに入ったケアシノスリは9羽とも10羽とも言われているが、1月5日に私が行った時に確認できたのは同時
に
8羽
だった。
干拓地内には入れないので取り巻く堤防からの観察となったが、8羽が分散して縄張りを持ったので堤防沿い
を縄張りにした個体は目の前までやってきたので写真は撮り放題だった。 高空でホバリングしながら餌を探す
姿が特に印象的だった。
2,008年1月5日 木曾岬干拓地
ケアシノスリの成鳥は主翼の後縁や尾羽に黒いバンドがあるが、木曾岬にやったきた個体群には見られないこと
から全て幼鳥=若鳥と判定された。
琵琶湖周辺には成鳥も来ていると聞いて遠征した。 野鳥センターで南に下った方面に2羽いるらしいと教えても
らったので探しに行ったが幼鳥が1羽しか見付からなかった。
2,008年1月6日 滋賀県湖北町の農耕地
干拓地内のあちこちに散らばった8羽のケアシノスリの幼鳥は、上空でホバリングしながら餌を探しているか、潅
木の上の方にとまっているかで常に見やすい場所にいた。 他の場所では移動範囲が広く、見に行っても探し出すの
に苦労したそうだ。
2,008年1月9日
木曾岬干拓地
ケアシノスリは干拓地内ばかりでなく、岐阜県養老町の農耕地にも1羽がいた。 ノスリやチョウゲンボウの姿を
たくさん見掛けたので餌になるネズミ類が多いのだろう。 餌が足りているのか美しい幼鳥だった。
2,008年1月18日 岐阜県養老町の農耕地
1月26日には5羽に減った。 2月1日には4羽しか確認できなかった。
2月4日には4羽のうち1羽がアンテナを背負っているのに気付いた。 ネットで追跡調査を行っている団体
を調べたがわからなかったので写真を添えて野鳥の会三重支部幹部を通じて関係団体に報告してもらった。
支部幹部からは「報告しておきました」の連絡は貰ったがそれだけ。
こういう調査はきちんとアナウンスしてやらないと実効が上がらないと思うけどね
ー
。
アンテナケアシノスリ 2,008年2月4日 木曾岬干拓地
2月1日から月末までは4羽で推移し、3月9日には3羽に減っていた。 この頃各地で落鳥しているという情報
が伝わってきた。 餌が獲れない幼鳥の行く末は悲惨だ。 木曾岬にやってきた個体群が数を減らしているのは
移動した可能性と餌が獲れなくて落鳥した可能性と二つが考えられる。
ここで越冬し餌を獲る猛禽はチュウヒやノスリ・ハイイロチュウヒなどたくさんいて競争が激しい。 落鳥した可
能性が有っても立ち入り禁止の干拓地には入れないし、入れたとしても丈なす葦原の中では探しようもない。
木曾岬干拓地とは堤防を隔てて鍋田干拓の農耕地が広がっている。 観察している間、ケアシノスリが堤防を
越えて農耕地に入ることはごく稀に有ったが餌を探すシーンは一度も見ず採餌は全て干拓地内の芦原で行って
いた。
ホバリングは数十メートルの高いところで行う。 急降下するにしても時間が掛かると思うがなぜあんなに高いと
ころで探すのだろう。
観察中にしばしば姿を見せたハイイロチュウヒの♀が葦原に沿って低空で縫うように餌を探していたのとは対
照的で、餌を捕らえた瞬間はあまり見られなかった。 餌は足りていたのか疑問。
3月23日にはアンテナ付を含めて4羽を確認した。 アンテナ付は湾岸道路を挟んだエリアを縄張りにしてい
たので目に付きにくかったようだ。
この頃にはギャラリーはほとんどいなくなってゆっくりと観察できたが、個体数が減って縄張りが広くなり、なかな
か観察場所の堤防に寄ってこなくなって写真が撮りにくくなった。
この頃の興味はいつまでいてくれるのだろうだったが、換羽の始まりも見ることができた。 この個体は両翼
のP-1が生え変わってP-2が抜け落ちており、尾羽も何枚か抜けている。
2,008年3月23日 木曾岬干拓地
この個体はまだ換羽の兆候はみられず全ての羽が揃っている。
2,008年3月23日 木曾岬干拓地
4月4日に2羽になって7日にも2羽を確認、11日には1羽になった。 4月13日にも1羽を確認したがこれが
最後となり、16日・20日と行って13日の終認を確認した。
2,008年4月13日 木曾岬干拓地で撮影した最後の勇姿
。
稀にしか見られないケアシノスリが大挙して現われたのはカリガネファミリーの飛来と共に異常気象のもたらし
てくれた素敵なプレゼントだった。
越冬した8羽のうち何羽が繁殖地に帰れたのかわからないが、かなり厳しかったのではないかと想像している。
2,009年5月18日、1羽のケアシノスリが木曽岬干拓地を通過していった。 尾羽にバンドが無いので若い
個体とみられ、胸の模様から♀と判断した。
2,009年5月18日 木曽岬干拓地
2,009年12月23日、木曽岬干拓地にケアシノスリが飛来した。 尾羽の先端に鮮やかな黒帯があり、下腹部
が白いので成鳥の♂。
もう1羽いるとの情報もあったが、確認できないまま越冬の期待を裏切って数日で移動してしまった。
2,009年12月24日撮影の成鳥♂。 2枚とも同一個体
。
記:2,008年8月25日
2,010年3月 7日
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